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Lio to TOKYO

車椅子バスケの体験会のお知らせがポスティングされてました。なんてタイムリー。

平日ではないので息子も一緒にいこうと誘っては振られてばかりの毎日です。でも諦めない。うんと言うまで口説き続ける所存です。


引き続き障害者福祉について考える毎日です。

普段説かれがちな「可哀想だから支えてあげましょう」「理解してあげましょう」「社会的弱者に支援を」という姿勢とはまるで真逆な、アスリートとして「凄い!」と感動させられたパラリンピック。普段無意識に格下に見られている人達が、自分より遥かに上の世界で輝いていている訳です。社会的弱者?どこが?スゲーじゃんてなってる訳ですよ。

障害者スポーツをもっとテレビでやればいいのに。テレで週イチくらい障害者スポーツ枠作ればいいのに。



障害者問題は本当に難しいです。差別ってなんだろ。健常者が差別だと思うことと、当事者が思う差別って違うと思うしね。


あのね、私背が低いんです。150に少し足りない。就職してすぐの頃、棚の上の段ボールを下ろすよう言われ、椅子に乗って手を伸ばしてたんです。

そしたら先輩が。
「あっ無理しないで。代わるよ、ごめんね配慮が足りなかったね」
って。

親切で言ってくれたのはわかります。でも正直複雑だった。手は届いていたし、さほど重いものでもなかったし、無理だと云われることじゃなかった。私はまだまだお子さまだったので、出来ることを出来ないと決めつけられるのが大変不愉快でした。

親切ってなんだろう。

手足に麻痺のある知人がいて、お店で食事をとる時、「スプーン借りてきてあげるね」と自発的に席を立つ人がいました。その知人は箸を使える。ぎこちないし落としたりするけど使える。本人に頼まれた訳でもないのにスプーンを取りに行くのは親切なのか。知人本人が別にいらないと言っても聞いちゃいない。「いいよいいよ、気にしないで」って席を立つ。

イライラしました。親切なつもりでいるその人も、困った顔をするだけで何もしない知人も。「myスプーン持ち歩きなよ。使う使わないはともかく」そうすれば必要ないから使わないんだと意志表示できる。でもその提案はさらりと流されました。結構親しい相手にさえありがた迷惑と言えないらしいです。これは障害者あるあるなんですかね?


本当は出来ること、チャレンジすれば出来ること、を親切のつもりで取り上げられている障害者は多いんじゃないかと思います。無理だから、の一言で本人も諦めていることもあると思います。

私達「健常者」でも出来ないことを「障害者」がやってのける、その勇姿をパラリンピックで見ました。そして思うのです。私の人生、「どうせ無理だから」と自分を縛ってしまうことがどれだけ多かったか。「障害者だから」と縛られている人がどれだけ多いのか。人間は多少の負荷をかけないと成長しないものだと言います。出来ることだけやってちゃダメなんだって、チャレンジしなきゃダメなんだって、しみじみ思います。


今回三宅さんをきっかけにパラリンピックを見た訳ですが、本当に意義のある9月でした。健ちゃんありがとう。ここはV6についてだけ書くつもりのブログなので、障害者福祉についてはもう書きませんが、本当に勉強になりました。

東京パラリンピック、それとデフリンピックも健ちゃんがお仕事できますように!